

頼もしかった夫、優しかった妻…
二度と会えぬ悲しさ、失って、はじめて知る愛別の苦しみ。
絶望の暗闇に、生きられぬと思った日々―。
訪れた死別、尽きぬ涙―そして、これから。
夫、妻を亡くし、孤独や絶望に苦しんだ人たちの心の叫び、
生きようとした、その後を収録。
【 著者の紹介 】
- 佐藤匡男(さとう まさお)
学歴:1931年、名古屋市生れ。名古屋大学法学部卒。
職歴:商工中金、家具金物製造・ムラコシ精工。
1991年、配偶者を失った人たちの会・気ままサロンを、長年図書館司書を勤めた
石井須美子と共に創始。 - 石井須美子
配偶者を失った人たちの会・気ままサロン代表「夫婦死別の悲嘆から立ち上がる」 これから一人でも独りでなく
配偶者を失った人たちの会 気ままサロン会報より
第1章 泣いて、語ることから *悲嘆の対応*
第2章 独りにならぬこと *孤独の対応*
第3章 語る場を持つ *独り道の対応*
第4章 私たちの心 *人を思い、思われる*
・前書き~悲嘆の対応
この世に、こんな辛さがあろうとは。
共白髪を信じた二人暮らしから、あるべき姿や声が消えた空虚。
私たちは、夢かうつつか混濁の中で、「なぜ」を何度問いかけたことか。
でも、答えは何も出て来ませんでした。
虚脱が薄らげば、湧き出る思いは、取り返しのつかぬ悔い、自分や周りへの無性な腹立ち、
殊に、これ程の一大事にも、世間が微動だにしないのは耐えがたい理不尽でした。
やがて、身を裂く悲しみ、底知れぬ孤独感。病むか狂うかしそうでも、
跡を追いたいと願ってさえも、いつしか事なく夜が来て、朝が来る。
そんな、どうしようもない自失の日々。
尽きぬ涙とともに、体の奥底から痛切な言葉が溢れ出て来ました。
ここに掲げた幾筋かがそうです。これは、相手と交わす会話ではありません。
感情の噴き出るままに書き連ねた、心の叫びと言えましょう。
ところが、後で振り返ると、ここに溢れ出た涙と言葉は、単なる排出物ではなくて、
悲しみや辛さの対応に、大きな役割をなしていました。
思いきり泣けば、そして、ほとばしる思いを文字に書けば、随分と気が楽になると感じたのです。
私たちは、体験を寄せ合ううちに、多くの仲間が必死にたどった経路には、
悲しみ・辛さに対応する処方箋として、ある仮説が成り立つと気づきました。
要約すれば、次の3段階です。
- 泣くだけ泣く
- 思いを書くか、誰かに語る
- 何かに打ち込む
この1冊には、そんな仮説の検証というテーマも込められています。
この章に掲げた篇々は、泣きながら書かれたものばかりです。
どうか、これらを、単にお読みくださるだけでなく、
「自分も書こう」と手をつけるヒント・きっかけにして頂ければと思います。
そう、私たちが一人になって真っ先に得た教訓は、
「自分が動かねば何一つ始まらない」、これでした。
私たちを襲った愛別の悲しみ・辛さは、どうも、日にち薬だけでは治らないみたいです。
― 佐藤匡男 ―